秋葉原を巡る冒険

宝塚研9、コンカフェ研3

#巡礼の年 〜略〜花組ライビュを見て

※ものすごく長いかつ私の個人的な感想です。正式タイトルは巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜。

かれーちゃんが申し訳なく思うことは、ない。誰にもどうにもできないことだし、どんなに気をつけていても罹患はするし、*1ましてや舞台の稽古をしていればなおさら。かれーちゃんはカーテンコールで何度も申し訳ないという言葉を口にしていた。同時に千秋楽が行われたことへの感謝も。最後、スタンディングオベーションがやまない中で一人で緞帳の前に現れたかれーちゃんは時折ユーモアをまじえながらも*2ずっと謝罪と感謝を繰り返していた。

※以下敬称略

 

マリーと駆け落ちする場面、膝をついた柚香光の体は震えているように見えた。序盤からカメラでアップにされる口の端がそんなに震えていてどうして台詞を言えるのか、ちゃんと歌えるのかわからないほど、泣きそう、あるいは泣いているような気がした*3

開幕の挨拶に、千秋楽ができることへの感謝が加えられていた。千秋楽のライブビューイングはコロナ禍前から見ているが、初めて聞いたと思う。しばらくして目尻のメイクが少し、滲んで見えた。口の端が震えているなと思ったのはその後だった。高性能なマイクが時折呼吸を拾っていたけれど、若干嗚咽のような時があった。(星風まどかも少し声が震えたり、涙が浮かんでいた時があったように思う)ここまで千秋楽に演者が感情を抑え(られ)ずに演じているのは、私の主観だが明日海りおが組替えで月組を離れる時のベルサイユのばらくらいではないだろうか(今宵一夜が最長と言われるくらい長くなったと聞いたことがある、噂ではあるけれど)(繰り返すがあくまで私の主観だし全組の全演目や千秋楽を観ているわけではないのでわからないのだが)

前のエントリではあまり触れなかったが、9月3日(土)までの中止が発表された後、8月26日に翌27日に始まる予定だった、千秋楽のライブビューイングのチケット発売が一時見合わせになっていた。少しTwitterを検索してみたら、千秋楽の幕が開かないのではないかという推測が多かったし、私も絶望的だと思っていた。だからぎりぎりまでの──中継を決定してチケットを売ってから8月20日のように開場10分前に中止になるリスクなど──調整と、感染のリスクを冒して稽古がなされたのだと思う。お芝居ではわからなかったが、ロケットや階段降りを見た限り、大きく人が欠けてはいなかったように思えた。

舞台挨拶の録音やメモ書きをしていない(しできない)ので正確に全ては書けないのだけれど、本当に花組生にとっても、チケットを取っていた人にとっても苦しい中止期間だったな、と改めて思った。そしてその中で、卒業した四名は二度目の挨拶で揺らぐ組を柚香光がしっかりまとめ上げていると皆言っていた。柚香光のどの挨拶も、本当に心からの言葉を全力で、あの羽根を背負ったまま(15キロですよ)、真剣に伝えてくれていて、そして組長に呼ばれた最初の挨拶の時は初めて柚香光を意識した時の、画面越し*4でもなぜかゾクっとするようなオーラを感じた。

 

私は宝塚大劇場で一度観ていたので流れは知っていたのだが、ショパンが最初の芸術家のシーンで咳き込んでいることは気づいていなかった。これはライブビューイングの利点だと思う。(でなければたぶん東京宝塚劇場で観ていても気づかなかった気がする)

この演目はリストの人生をエリザベート並みに(リストの人生が作曲家としては比較的長いこともあって)描いている*5。本当にいい作品で、これが9万何千人の目に触れる機会を失ったのは本当にもったいないことだと思う。前のエントリにも書いたように公演の後ろ倒しはないだろうし、今日で終わったのだと思うけれども。

柚香光の歌はさらに高まっていて、宝塚と東京の間と中止期間に練習を重ねたのだろうなと感じたし、歌のないお芝居だけのシーンはもはや凄味が漂っていた。リスト・フェレンツという役が憑依してそう見えるのか、このぎりぎりの千秋楽がそうさせたのか、両方かもしれない。宝塚で観た時は、金色の砂漠の時よりもギラギラして勲章だらけの衣装をなんの違和感もなく着こなしていてすごいな、という印象の方が強かった。

個人に触れていくとたぶん二千字を超えるのでやめるが、全体的にかなりパワーアップしていたという印象だった。音くりちゃんの伯爵夫人がとても良かったので本当に退団が惜しい。

長くなってきたので一旦終わります(唐突)。

 

*1:私も第7波で罹患したが一切心当たりはなかった

*2:トップスターとしての顔と、少しおちゃめなところを垣間見せるその配分も凄い

*3:もし違ったらごめんなさいかれーちゃん

*4:それもライビュだった

*5:たとえば東宝ミュージカル「モーツァルト!」は史実のモーツァルトが早く死んでいるために若いまま死ぬ。